人間を幸福にする闘いを文学に

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 「私のなかの創価学会」.
サブタイトル 「人間を幸福にする闘いを文学に」.
作家 宮本輝(みやもとてる)


私が創価学会に入信したのは昭和47年の秋だから、信仰して、かれこれ17年が過ぎようとしている。
強度の不安神経症の発作に苦しみながら、私は、創価学会という善意のかたまりみたいな
人間群像に飛び込んだのだが、いま、私は「飛び込ませてくれた多くの人々」に、言葉に尽くせない感謝の念を抱いている。

入信してまもなく、私は座談会で扇子を持たされ、学会歌の指揮をとらされて、すぐにでも創価学会から足を洗いたいと思ったくせに、その半年後には中等部の担当者となって、部員さんの家々を自転車で廻っていた。
私が担当した中等部員たちも、いまは立派な社会人となり、中にはもう4人の子供の父となっている人もいる。勤行なんか大嫌いだと言う中学生たちに、ずいぶんてこずったのだが、振り返って思い起こせば、てこずらされることで、私は中学生たちに磨いてもらっていたのだ。

中等部を担当していたとき、私は、中等部総会のために、生まれて初めて、短い戯曲を書いた。これは評判が良くて、次には尼崎の男子部幹部会のための劇を書かないかと言われた。
私は、張り切って書いたのだが、出来上がったシナリオを読んだある幹部の、「やっぱり尼崎は花笠音頭にかぎるで」というひとことでボツになった。
私は憤慨したが、いまになれば、なんだか楽しい思い出である。
けれども、その短い戯曲を書いているときも、私は将来作家になろうなどとは夢寐にも思っていなかった。私が、作家をこころざしたのは、入信して3年が過ぎたころである。
池田先生が、講演のなかでサルトルの言葉を引用して指導された箇所を読みながら、私は、こんなにもたくさんの創価学会員がいるのに、なぜ世間に通用する作家が一人もいないのだろうと思った。
そして突然、「よし、俺が作家になろう」と決めた。
本来、ケンカ早くて短絡的で、根は明るい性格なので、決めた翌日に会社勤めを辞めてしまった。(このような性格は、じつは作家に向いていないのではないかと、ときおり不安になる)

私は、作家になろうという夢を叶えるために入信したのではない。
入信してから、作家をこころざした。
日蓮大聖人の無尽蔵な御指南が、池田先生の多くの指導が、少しずつ少しずつ私の内部で眠っていたものを揺り動かして、 私を作家への道に走らせたとも言える。

なぜなら、私が小説の中で書いているものは、すべて大聖人様の仏法から御教示されたものであり、池田先生の指導から学んだものであり、ひいては、創価学会の、人間を幸福にする闘いから教えられたものばかりなのだ。
それらは、いったん私の中に染み込み、私という人間を通過して、私という世界における体験やら思考やらをまな板として、別の皿に移されていく。
だから、いささかでも私の作品を評価する人は、日蓮大聖人の仏法を、池田先生という指導者を、創価学会という奇蹟的な団体を評価しなければならない。そして、私の作品を否定する人は、この私の眼高手低(がんこうしゅてい)を笑うべきである。

創価学会への入信、それによる幾つかの信仰体験、池田先生の激励がなければ、宮本輝などという作家は存在しなかっただろう。それどころか、ノイローゼが昂じて廃人となるか、
生来の作り話のうまさを生かして詐欺師となるかがおちだったに違いない。これは、本人が言うのだから、ほとんど間違いのないところである。

この少ない紙面において、創価学会の、戦後の日本に果たした巨大な役割について書くのは、どだい無理といえる。
いったい、どれほどの貧しい無名の庶民が、創価学会の中で、生きる希望を見いだしていったことだろう。どれほど多くの病人たちが、蘇生の力を与えられたことだろう。どれほどたくさんの青年たちが、日本の教育制度が忘れた「人間の道」を学んだことだろう。

それらをなおざりにして、創価学会や池田先生に関する低俗な記事を書く、売らんかな主義の三流ジャーナリストも、読んで騒ぎたてる人も、それでは、自分たちは他者の幸福に対してどのような労苦を費やしたと言うのであろう。
彼らはいつも傍観者で、隙あらば他人をだしにして何らかのおこぼれをかすめ盗ろうとしている恥知らずたちにすぎない。
彼等は永遠に傍観者だが、自分たちの立っている場所が、決して安全地帯ではないことに恐れを抱いている。
だが、彼等は眼低手高(がんていしゅこう)なのだ。我々が、眼高手低である限り、彼等の手の高さは、ときに巧妙に翻弄するだろう。
大聖人様の仏法を学び、池田先生の薫陶を受けている我々は、おのずと眼高となっていくが、それを社会の中で具現化する手が低いあいだは、眼低手高の輩を打ち負かすことは出来ない。
思想は低劣だが技に長けている。そんな連中に負けるのは恥だから、作家としていまだ「手低」の私は、絶えず創価学会という原点に立って、自分を磨きつづけなければならないのである。


○プロフィール.

昭和22年、兵庫県生まれ。本名・宮本正仁。追手門学院大学文学部卒。47年入信。
52年「泥の河」で第13回太宰治賞を受賞、続いて「蛍川」で第78回芥川賞を、さらに「優駿」で第21回吉川英治文学賞に輝く。

眼高手低(がんこうしゅてい):理想は高いが実行力が伴わないこと。特に、批評する力はあるが創作力がないこと。
眼低手高(がんていしゅこう):理想は低く技術だけが高いこと。中身がなく、創作力のみが長けていること。宮本輝の造語。
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