「成人の日」の思い出

来週の月曜日は「成人の日」。
ずっと1月15日の「成人の日」に慣れ親しんだ身には少々の違和感がある。

各地の地方自治体主催の式典には、今年もお約束の馬鹿者成人が登場するのだろうか。
報道では人権に配慮してか、顔をモザイクで判別できないようにしている。
「こういうバカの顔は晒してやるべき」と考えるのは私だけではないと思う。
目立ちたくてバカな振る舞いをするのだから、本人の望むようにしてやればいいのに。
大馬鹿者の称号とともに、当分の間、職場でも近所でも「あぁ、あいつがあのバカか」と失笑を買うような立場に追いやってやればいい。



かつて、こんな私にも行政が行なう式典の案内が届いた。
1月15日の朝、スーツに着替えた。会場までは歩いても行ける距離である。
出発しようかと思ったが、どうもしっくりこない。
母親はこれも思い出だから参加してこいと言う。

しかし結局選んだのは、参加しない思い出だった。なんだか中途半端な自分を感じて、行くことが嫌でしかたがなかった。

スーツを脱ぎ普段着に着替え、前年に59歳で他界した父親の墓参に行った。
式典に行かず、墓参をしたことに特別の意味はない。
しかしこの時期になると、20歳の1月15日の自分を必ず思い出す。
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