2011年6月14日(火)の「天声人語」

2011年6月14日(火)の「天声人語」

 先日の小紙連載「終わりと始まり」で作家の池澤夏樹さんが述べている。「核エネルギーはどこか原理的なところで人間の手に負えないのだ。それを無理に使おうとするから嘘(うそ)で固めなければならなくなる」▼「嘘」は核を巡るキーワードの一つだろう。東京の岩波ホールで緊急上映中の記録映像「原発切抜帖(きりぬきちょう)」と「いま原子力発電は…」を見ると、産官学のゴマカシがよく分かる。ともに30年ほど前の作ながら、今の惨状を予言するようだ▼新聞記事だけで構成した「切抜帖」は、広島への原爆投下から始まる。何が起きたか軍や学者は分かっていた。だが第一報は「若干の損害を蒙(こうむ)った模様」。時代も事情も異なるが、目下の原発事故の情報開示に通じるものがある▼菅内閣の常套句(じょうとうく)の「ただちに影響はない」も欺瞞(ぎまん)がにおう。「切抜帖」を撮った故・土本典昭監督は当時語っている。「恐ろしくなったのは(放射能を浴びた人たちが)20年、30年の後に病み死んでいっている、その時差でした」。長く体内に潜む「時限爆弾」の怖さである▼嘘は魔物で、ばれぬように上塗りが要る。西洋の古言では、一つの嘘をつき通すには別の嘘を二十発明しなくてはならないそうだ。安全神話の正体はそれだったろう。何がウソで何がホントか、もう当事者にも分からなかったのではないか▼原発の是非は、54基が存在する現実からではなく、原爆の非人間性まで立ち返って考えたい。未来に何を渡すか。この分かれ道、いささかも侮れない。


>何がウソで何がホントか、もう当事者にも分からなかったのではないか

当事者及び関係者どもは、分からないと思い込んでたのだろう。
イタリアでは「日本にできないことを、我々ができるわけがない」という
論調があるそうだ。こういう謙虚さを東電も政府も見習うべきだ。
[PR]